広島地方裁判所 昭和57年(ヨ)641号 判決 1983年11月30日
申請人
吉原寿恵子
右訴訟代理人弁護士
中島英夫
同
坂本宏一
同
阿左美信義
被申請人
国家公務員共済組合連合会
右代表者理事長
大田満男
右訴訟代理人弁護士
開原真弓
同
渡部邦昭
同
大本和則
主文
一 申請人が被申請人に対し、労働契約上の権利を有することを仮に定める。
二 被申請人は申請人に対し、金二二七万一四八〇円及び昭和五七年一二月一日から本案判決確定まで毎月二一日限り金九万七二〇〇円を仮に支払え。
三 申請人のその余の申請を却下する。
四 申請費用は被申請人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
1 主文第一項と同旨
2 被申請人は申請人に対し、二五四万九三三六円及び昭和五七年一二月一日から本案判決確定まで毎月二一日限り金一〇万七〇二四円を仮に支払え。
二 申請の趣旨に対する答弁
1 申請人の申請を却下する。
2 申請費用は申請人の負担とする。
第二当事者の主張
一 申請の理由
1 当事者
(一) 被申請人は、国家公務員共済組合法二一条に基づいて設置された法人として全国に病院、宿泊施設等を経営しているものであるが、その一つとして、広島市内に従業員約二五〇名(うち臨時職員約二〇名)を擁する広島記念病院を経営している。
(二) 申請人は、昭和五五年四月一日被申請人に非常勤職員として雇傭され、同年一〇月一日、昭和五六年四月一日と二回の契約更新を受け、広島記念病院の保清係職員として清掃等の業務に従事してきたものである。
(三) 申請人の勤務内容、給与等は正職員と同等であったが、右病院の保清係の定員が八名であったため、非常勤職員とされたものであり、昭和五六年七月三一日付で同係の正職員一名が退職し、正職員の定員に空席が生じたことにより、従前の例からすれば、同年八月一日付で正職員となる予定であったものである。
2 被保全権利
(一) 被申請人は、昭和五六年八月二八日に申請人から退職願が提出され、同日これを受理したので、雇傭関係は同月三一日をもって終了したとして、申請人が雇傭契約に基づき提供する労務の受領を拒否し、同年九月分以降の賃金の支払を拒否している。
(二) しかしながら、右退職願は、次のとおり無効又は取消され、もしくは撤回されたものである。
(1) 被申請人は、かねて保清部門の下請化を計画していたものであるが、記念病院事務部長西本富彦は、前記のとおり正職員となる予定の申請人に対する前例のない身辺調査を行った結果、同人の履歴書に誤りのあること、すなわち同人は岡山県立操山高校を中退したのに卒業した旨の記載があることを発見し、昭和五六年八月二七日西本において、申請人に対し、「これは重大な経歴詐称であり、社会問題になりかねない大問題で懲戒解雇の対象になる。懲戒解雇になれば、今後の就職にも差し支えるが、すぐに退職届を持ってくれば、院長先生の温情で依願退職にしてやる。組合には一切言うな。」などと退職を迫った。申請人は、このために一晩眠れないほどに悩んだ末、翌二八日午前八時三〇分ころ退職願を西本に提出した。
(2) 申請人の仕事は清掃及び給茶という単純肉体労働であり、学歴による賃金の差異も全くないものである。また、保清係においては、これまで採用時又は正職員への昇格時に学歴が問題とされたことは皆無であるうえ、申請人の真面目な仕事ぶりは被申請人も認めるところである。したがって、前記履歴書の記載の誤りは労働力の評価を誤らせるおそれもなく、かつ、被申請人に何らの損害を与えるものではないから、懲戒解雇の理由とはならないものである。
(3) 申請人は、右のとおり前記履歴書の記載の誤りは懲戒解雇の理由にならないのに、これにあたるものと誤信して退職願を提出したものであるから、要素に錯誤があるものというべく、右退職の意思表示は無効である。
(4)イ 申請人は退職願を提出したのちの同日午前一〇時三〇分ころ、国家公務員共済組合連合会病院労働組合広島記念病院支部書記長谷口正秀に問い質されて退職願提出の経緯を打ち明けたところ、同人から前記履歴書の点は懲戒解雇の理由にならないから退職する必要はない旨の説明を受けて初めて西本に欺罔されたことを知り、退職願提出から約四時間半後の同日午後一時右谷口とともに西本を訪ね、退職願を撤回する旨口頭で申し入れ、その返却を求めた。西本がこれに応じないために、翌二九日午前八時半ころ及び同九時すぎころに再度口頭でその返却を求め、さらに同日午後及び同月三一日書面によりいずれも退職の意思表示の撤回を申し入れた。
ロ 西本は、申請人に対し、前記のとおり履歴書の記載の誤りは懲戒解雇の理由にならないのにこれにあたる旨告げて申請人を欺き、又は畏怖させて退職の意思表示をさせたものであるところ、申請人は、右のように退職願提出の八月二八日、翌二九日又は同月三一日にこれを取り消す旨の意思表示をした。
ハ 申請人は、被申請人が内部的意思決定に基づき承認の意思表示をするに先立ち、右のとおり八月二八日、翌二九日又は同月三一日に退職願の撤回の意思表示をした。
(5) 申請人は、昭和五五年四月国共病組広島記念病院支部(現在の組合員数一三九名)に加入した。広島記念病院の従前の労使関係は概ね円満であったが、昭和五四年以降、保育所設置要求等から労使関係が悪化し、特に昭和五五年一月に西本が事務部長に就任してからは病院側の組合切崩のための攻撃が強まり、婦長・主任クラスの者に対し脱退工作を行って多数の者を脱退させ、新規採用の職員に対しては面接試験に際して思想調査を行うなどして組合加入を妨害している。保清職場は一〇名全員が組合員であったところから合理化の名のもとに組合の弱体化を図り、本件以後である昭和五七年一二月一日付で保清部門を廃止して完全下請化を実施した。本件の申請人に対する退職強要は、被申請人のこのような保清部門の下請合理化、組合の弱体化の方針の一環として行われたものであるから、労働組合法七条一号、三号の不当労働行為に該当し、これに基づいて行われた申請人の退職の意思表示は無効である。
(三) 申請人の得べかりし未払賃金は、昭和五六年九月一日から昭和五七年一一月三〇日までで合計二五四万九三三六円となり、同年一二月以降毎月二一日に支払われるべき賃金は、調整手当を含めて九万六八二〇円の俸給と通勤手当二二〇〇円、被申請人が負担すべき短期・長期掛金八〇〇四円の月額合計一〇万七〇二四円となる。
3 保全の必要性
申請人は、被申請人からの賃金のみを唯一の生活の糧とする四五歳の独身女性であり、他に資産はない。同人は、昭和五六年九月以降は基本給相当額を組合から借り入れることにより生活を維持してきたものであるが、支部組合財政も逼迫しており、これ以上借り入れを続けることは困難であり、他に就職のあてもない。
二 申請の理由に対する認否及び被申請人の主張
1 申請の理由に対する認否
(一) 申請の理由1の(一)、(二)の事実は認める。同(三)の事実のうち、申請人が正職員となる予定であったことは否認する。
(二) 申請の理由2の(一)の事実のうち、昭和五六年八月二八日に申請人から退職願が提出され、同日これを受理したことは認める。同(二)の事実は否認する。申請人は、後記のとおり、自発的に退職を申し出たものであって、西本が同(二)の(1)のような発言を行ったことはなく、詐欺、強迫の事実もない。同(三)の事実は争う。
(三) 申請の理由3の事実は争う。
2 被申請人の主張
(一) 申請人の退職に至る経緯
(1) 保清係の職員の中にサラ金の返済に悩む者等があり、保清係の職場の状況を把握する必要があったこと及び申請人を常勤職員として採用する問題があったことから、事務部長である西本は、身上把握のため、昭和五六年八月一〇日事務部長室で申請人と面接し、生活状況、職歴、卒業した学校等について詳しく尋ねた。
(2) そして、身上把握の一端として申請人の履歴書記載の高等学校に一応照会したところ、該当者なしとの回答であった。そこで、昭和五六年八月二七日午後三時すぎころ、事務部長室で西本が一般調査の中で申請人の学歴を尋ねたところ、申請人は「岡山県立操山高校を卒業したことは間違いない」「明日卒業証書を持参する」と回答し、事務部長室を退室した。ところが、その後五、六分して、申請人は再び事務部長室を訪れ、西本に対し、「実は通信課程にしばらく在学したことはあるが、高校を卒業していない」と告げるとともに「恥ずべき事をしたから退職させてもらいたい」と自ら申し出た。それに対し西本は「退職についてはともかく、学歴を偽ったことに対し、始末書を提出していただきたい」と申請人に伝えた。
(3) その日の午後六時ころ病院長、診療部長、事務部長、看護部長、事務次長で構成される管理会議に全員が出席のうえ申請人の右退職の申出に対し経歴詐称としての処分をすることなく退職を承認することが決定し、申請人の名誉、外聞を考慮して同月末日まで勤務させることとした。
(4) 翌二八日午前八時半すぎ申請人は事務部長室を訪れ、同日付で退職させてほしいと述べ、退職願を提出したので、西本は、二七日の管理会議において正式に申請人の退職を承認した旨同人に伝えたうえ、同人の退職願を受理した。その際、西本は、八月末日まではこれまでどおり勤務し、再出発に備えるよう申請人に伝えた。
(5) 右の経過から明らかなように、被申請人においては、申請人に対し退職強要を行ったことはないし、まして西本において懲戒解雇をほのめかすような発言は全くしていない。むしろ、申請人は履歴を偽ったことについて、恥ずべきこととして、自発的に退職を願い出たものである。
(二) 申請人の退職願の取消し及び撤回の主張について
(1) 右のように申請人の退職願は自らの意思によってなされたものであり、被申請人において退職強要を行ったことは全くないのであるから申請人の退職願は詐欺ないし強迫による意思表示ではなく、取消しは全く問題とならない。また、八月二八日、二九日に申請人らが事務部長室に来た際、申請人らは、退職強要であるから、退職願を取り消すとはいっていない。
(2) 申請人は、昭和五六年八月二七日午後三時ころ自ら退職の申出をし、被申請人は、同日午後六時に開かれた前記管理会議で正式に退職を承認した。そして、翌日午前八時半ころ西本から退職が正式に承認された旨告げ、申請人の提出した退職願を受理している。したがって、管理会議を経て、翌二八日申請人に対し退職の申出を承認した旨を告知した時に申請人の退職の効力が確定しているので、もはや申請人において退職願を撤回する余地は全くない。
(三) 申請人の不当労働行為の主張について
(1) 被申請人は、これまで諸問題について、労使協議の中で誠実に組合に対応してきた。申請人の主張するような組合切崩攻撃などということは全く有り得ないし、申請人の組合活動を意識したことも全くない。
(2) 広島記念病院は、医療機関としては全国的にも例の少ない病院職員による清掃業務を行ってきたことから、合理化もいずれは考えなければならなかったが、申請人が退職した昭和五六年八月当時は右問題についてなんら具体的な検討もされていなかった。保清部門の下請化が具体的に問題とされ、検討されたのは昭和五七年四月以降のことであって、それは同年四月及び七月に各一名の保清係職員の退職者が出たため、清掃業務が維持できなくなったことによるものである。したがって、申請人が退職した当時、被申請人において保清部門の下請化を図っていたということは全くない。
(四) 保全の必要性について
本件申請は退職願提出から一年四カ月経過後になされていることからも明らかなとおり、申請人の生活権というよりも組合が組合活動の手段として行ったものというべきであり、保全の必要性は全くない。申請人が従事していた保清の業種は既に存在せず、従前の職場に復帰させることは不可能であることからもその必要性は否定されるべきである。
第三疎明関係(略)
理由
一 申請の理由1(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。
二 申請の理由2(一)の事実のうち、申請人が昭和五六年八月二八日に退職願を提出したことは当事者間に争いがない。そこで、申請人が右退職願を提出した前後の経緯について検討するに、(証拠略)を総合すれば、以下のとおり疎明される(一部争いのない事実を含む。なお、<証拠略>については、後記採用しない部分を除く)。
1 広島記念病院の保清部門の定員は八名であったが、昭和五六年七月三一日付で同部門の正職員一名が退職することになり、これに伴って正職員の補充が問題となり、非常勤職員である申請人の正職員化を要求する申請人加入の国共病組広島記念病院支部(以下、組合という)と態度を保留する病院当局との間で対立があった。
2 同病院事務部長西本富彦(以下、西本という)は、右の問題もあったことから、昭和五六年八月一〇日事務部長室において申請人と面接し、同人の生活状況、勤務歴のほか卒業した学校等について尋ねるなど、その身上把握に努めたが、西本は、申請人が採用時に提出した履歴書の岡山県立操山高校卒業との学歴記載の真偽にかねて疑念を抱いていたことから、同月二一日ころ右高等学校へ書面で照会したところ、同月二六日「卒業者に該当なし」との回答を受けた。
3 そこで、西本は、右の点を確認すべく、同月二七日午後三時ころ申請人を事務部長室に呼んで尋ねたところ、申請人は、「卒業しました。卒業証書もありますから明日持って来ます。」と答えていったんは退室したが、その約五、六分後に再び事務部長室に戻り、西本に対し、「実は通信課程に在籍したことはあるが、卒業はしていない」旨を打ち明けた。
4 これに対し西本は、申請人の行為は学歴詐称であって病院職員にふさわしくない行いである旨厳しく叱責し、同年一〇月一日以降の契約更新はあり得ないこと、始末書を提出すべきこと、直ちに退職願を提出するならば病院長と相談のうえ依願退職として取扱うことができることを申請人に伝えたところ、申請人が退職願を提出する意向を示したため、翌日の午後四時ころに印鑑を持参して再度来室するよう指示した。
5 広島記念病院では、従来からの慣行により、病院長の諮問ないし補助的機関として、病院の管理運営に関する案件を討議する管理会議(病院長、事務部長のほか、診療部長、看護部長、事務部次長から成る)が毎週木曜日の午後五時以降に開かれていたが、右八月二七日がこの日にあたるため、西本は同日午後六時ころ病院長室において開かれた右会議に申請人の学歴詐称問題を報告し、併せて申請人が退職願を提出する意向を示している旨を伝えたところ、申請人が退職願を提出するのであればこれを受理しようとの方針で一致を見た。
6 申請人は、同居の友人とも相談し、翌朝まで逡巡した挙句、西本のいうように、依願退職にして貰えるのであれば退職するのもやむを得ないとの気持から同月二八日午前八時三〇分ころ、保清係控室で「私ことこの度、一身上の都合により退職いたしたく右お届けいたします」との同日付「退職届」と題する書面(疎乙第六号証、以下、本件退職願という)を認め、直ちにこれを事務部長室に持参して西本に提出し、九月に一名の同僚が入院して保清係が手薄になるのでできれば九月末日まで勤めさせてほしい旨申し出たところ、西本は職場の人員等の問題は病院側が考えることであるとして右申出を拒絶した。
7 申請人は、その約二時間後、国共病組広島記念病院支部書記長谷口正秀と出会い、退職する旨を述べたところ、同人からその理由を強く問い質されて一部始終を打ち明け、同人ら組合幹部の説得を受けて同日午後一時ころ谷口とともに事務部長室に西本を訪ね、谷口において退職願の撤回を申し入れたが、西本は右退職願はすでに適式に受理されたとしてこれに応じなかった。
8 申請人は、翌二九日午前一〇時ころ谷口ほか一名と事務部長室を訪ね、谷口らが再度退職願の撤回を申し入れ、次いで同日午前一一時ころと同月三一日にも自筆の撤回願を西本に提出したが、いずれも前同様に拒絶された。
9 被申請人は、申請人を同月三一日限り退職したものとして取扱い、同年九月一日以降は書面により就労しないよう繰り返し求めたが、申請人は、組合の支援のもとに、前記退職願は効力を有しないとして同日以降昭和五七年一二月一日付で保清部門が全面的に下請化されるまでの間、従前どおりの勤務を継続した。
以上のとおり疎明される。右事実によれば、申請人は、被申請人に対し、昭和五六年八月二八日午前八時三〇分ころ本件退職願を提出することにより退職の申出を行い、その約四時間半後である同日午後一時ころ右退職の申出を撤回する旨の意思表示をしたということができる(前掲疎明によれば、申請人は、自ら撤回を口にはしなかったものの、組合の書記長である谷口が自己のために撤回の申入れを行うことを知りつつ、その傍でこれを支持し、黙認したことが疎明されるから、これにより、撤回の意思表示をなしたものと解することができる)。これに反し、被申請人は、(一)申請人が八月二七日の面接の際に口頭で退職の申出を行い、(二)右申出は同日の管理会議で正式に承認され、(三)次いで翌二八日に申請人が退職願を提出した際にその旨を告げたから、もはや退職の意思表示は撤回できない旨主張し(証拠略)にはこれに沿う供述部分がある。そこで、被申請人の右主張について、以下順次検討する。
三 まず、被申請人の前記二(一)の主張についてみるに、右主張に沿う(証拠略)(いずれも西本の報告書)及び西本証言があることは前記のとおりであるが、他方、申請人は、退職願を提出する旨の申出はしたが、その場で口頭により退職を申し出たものではない旨供述している。そこで、この点に立ち入って検討するに、一般に退職の申出は事柄の性質上、書面によるのが通常であり、被申請人の病院就業規則(準則<証拠略>)、広島記念病院の就業規則(<証拠略>)においても(後記のとおり、解約告知に関するものではあるが)書面によるべきものとされていること、申請人は、二七日の面接終了後も前記のとおり同居の友人に相談するなど退職すべきかにつき思案し、翌朝になって漸く退職の意思を固めて退職願を認めたものであって、退職願の提出によって初めて退職の意思が被申請人に伝わるものと理解していたことが明らかに窺われること、西本証言によっても、西本は、右面接終了の際に翌二八日午後四時に再び来室するよう申請人に指示したが、その時に始末書のほか病院所定の用紙により退職願を作成させる心積りであったというものであって、西本自身、その場で申請人が口頭で退職を申し出たと理解していたかは疑わしく、少なくとも手続として十分なものではないと認識していたことが窺われること等の点からすれば、八月二七日の面接の際に申請人が口頭で退職を申し出たとは解し難い。したがって、申請人の述べるように、右時点では、申請人は、依願退職にできるとの西本の言葉に動かされて退職願を提出する旨の意向を示したにすぎないものと認めるのが相当である。
四 ところで、(証拠略)によれば、広島記念病院の職員に対する就業規則であり、非常勤職員についても準用すべきものと解される就業規則六三条には「職員が退職しようとするときは少なくとも一ケ月前までに、その理由を記載した退職願を上長を経て病院長に提出しなければならない。」旨の規定(被申請人の病院就業規則((準用))六三条も同旨)があることが認められ、一定の告知期間を要求する右規定は民法六二七条一項の解約申入れと同趣旨に立ち、職員の側からする一方的な解約告知を定めたものと解される。本件では、申請人は九月末日までの勤務継続の申出を西本に拒絶されることにより退職の時期を被申請人側に一任したものということができるが、これに対し、被申請人は、前記のとおり、本件退職願を有効であるとして、申請人を退職願提出の日から三日後にすぎない昭和五六年八月三一日をもって退職したものとして取扱っているのであるから、申請人の本件退職願は、右就業規則が適用されるべき解約告知とは解されず、雇傭契約の合意解約の申入れにあたるというべきである。
このような雇傭契約の合意解約の申入れは、合意解約の成立に向けての申込みの意思表示にすぎないものであるから、雇傭契約終了の効果が発生するためには使用者の承諾の意思表示を要することはいうまでもない。そして、被用者は、右承諾の意思表示が自己に到達するまでの間は、それが使用者に対し不測の損害を与えるなど信義に反すると認められる特段の事情がない限り、原則として自由に解約申入れの意思表示を撤回できると解するのが相当である。
五 したがって、八月二八日午後一時の申請人の撤回の意思表示に先立ち、被申請人が承諾の意思表示を行ったとすれば、右撤回の意思表示は許されない筋合である。被申請人の前記二(二)(三)の主張はこれをいうものであるが、右主張は八月二七日に申請人が口頭で解約の申込みをしたこと(前記二(一))を前提とするものであるから、その限りで採用することができない。もっとも、被申請人は、八月二七日の管理会議の時点で、申請人の右申込みを確実なものと予測し、予め同会議でこれを承諾する旨を意思決定したことを併せ主張するものとも解され、(人証略)中にもこの趣旨の供述部分がある。しかし、同じく(人証略)によれば、広島記念病院では、職員が任意に退職する場合、直属の上司を経由して事前に病院長がこれを知り、その後退職願が提出されて病院長が書面上の決裁を行うのが通常の手続であることが疎明され、前記就業規則からも右の趣旨は窺われるところである(解約告知であるか、合意解約の申入れであるかはこの手続に差異を生じさせないと解される)。なるほど、申請人の退職問題に関しては、学歴詐称の点が背景にあるので、管理会議において右の点を取りあげ、対処の方針を決定する必要はあったものと考えられるが、さらにすすんで、後日提出されるべき退職願について、特段の緊急性もないのに、予め承諾の意思決定を行ったとは考えられず、前記各供述部分は少なからず不自然の感を免れない。したがって、管理会議における決定は、前記のとおり、退職願が提出されるのであればこれを受理しようとの一応の方針が定められたにすぎないと認めるほかはない。そして、(証拠略)によれば、被申請人の病院においては非常勤職員の任免は病院長の権限であると認められるから、申請人が退職願を提出したのち、通常の手続にのっとり、病院長がこれを決裁してはじめて承諾の意思決定があったと解される。しかるに、退職願撤回までの間に病院長が申請人の退職願を確知し、承諾の意思を具体的に形成したことを窺うべき疎明はなく(本件退職願である疎乙第六号証には、このような手続の履践を認むべき何らの記載も見当らない)、また、病院長のこのような任免の権限が事務部長に移譲されたことの疎明も全くないので、仮に被申請人主張のように、西本が申請人に対し、退職が正式に承諾された旨を告げたとしても、これをもって申請人の申込みに対する承諾の意思表示と解することはできない。したがって、撤回が許されないとする被申請人の主張は失当である。
六 申請人の撤回の意思表示は、退職願提出から間がないものであって、これにより被申請人に不測の損害を及ぼしたことの疎明もないので、申請人の退職願による解約申入れの意思表示は、右撤回により効力を失ったものというべきである。
したがって、申請人は退職願を提出したのちも、労働契約に基づき、被申請人の非常勤職員たる地位を有しているものといわなければならない。もっとも、前記のとおり、広島記念病院では、昭和五七年一二月一日付で保清部門が全面的に下請化され、申請人が本件当時所属した職場は既に存在しないが、(証拠略)によれば、本件当時の保清係八名(申請人を除く)のうち五名は看護助手又は食養部の職員として新たな職場に配転されたことが疎明されるので、右の点は申請人の地位に影響を及ぼさない。また、(証拠略)によれば、本件当時の申請人の雇傭契約期間は昭和五六年九月三〇日までとなっていることが疎明されるが、従前の取扱によれば、右期間は、特段の事情のない限り、更新されるべきものと解されるところ、これに反する主張及び疎明は全くないので、この点も申請人の地位に影響を及ぼさないものと解するほかはない。
七 (証拠略)によれば、申請人は、昭和一二年生まれの独身女性であり、肩書住所地(略)で友人と共同生活を営み、毎月五万円を家賃、食費等として右友人に支払っており、格別の資産もないこと、昭和五六年九月一日以降は現在まで組合から従前の基本給にほぼ相当する金員を毎月借り入れることにより、その生活を維持してきたものであるが、組合の財政状況に照らし、今後長期にわたって借入れを継続することは困難であり、被申請人の非常勤職員としての取扱を受けず、賃金の支払を受けることができないとすれば、生活に著しい困難を生ずることが疎明される。したがって、その仮の地位を定め、賃金の仮払を命ずる必要性が認められる。しかし、仮払を命ずべき賃金の額については、なお検討を要するところ、申請人が昭和五七年一一月三〇日までに組合から借り入れた金員は、(証拠略)によれば、毎月の給料日である二一日に、右基本給相当分として借入れを受けた月額九万七二〇〇円の一五か月分である一四五万八〇〇〇円のほか、昭和五六年冬期一時金二五万七二〇〇円、同年度末一時金五万七九〇〇円、昭和五七年夏期一時金二一万四八八〇円、同年冬期一時金二八万三五〇〇円の合計二二七万一四八〇円であることが疎明される。申請人が右借入金で経済的に過不足を来たしたと認めるべき疎明が見当らないことからすれば、右二二七万一四八〇円と昭和五七年一二月一日以降本案判決確定まで月額九万七二〇〇円の仮払をもって相当と認められ、右の限度で保全の必要性が肯定される。
八 以上説示のとおり、本件申請は、申請人が被申請人に対し、労働契約上の権利を有することを仮に定めること並びに二二七万一四八〇円及び昭和五七年一二月一日から本案判決確定まで毎月二一日限り九万七二〇〇円を仮に支払うことを求める限度で理由があるから、保証を立てさせないでこれを認容し、その余を却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三好幹夫)